新築一戸建て分譲の歴史

■高度成長期 1969年~1980年  平均15万1000戸

1969年に10万戸を超えました。この年以降は2010年まで10万戸から15万戸前後で推移します。戸建分譲の最大着工期です。この時期に3種の神器と呼ばれる「カー、クーラー、テレビ」が一般市民に普及し始めて、国民の快適な生活を作りだしていきました。この時期の戸建分譲になると風呂が標準でついていて、炊飯器・洗濯機などがあり主婦の家事が近代化されてきました。

1973年から15万戸を超える着工数となりました。特に1976年から1978年までは年間16万戸の着工と戸建分譲の歴史上で最も多い年です。
狂乱物価ともいわれ、物価も給料も前年の2割上がるなど異常な時期です。借金して住宅・土地を買えば、次の年にはその価値が2割以上は上がっているのですから、猫も杓子も、土地・住宅を買った時期です。

また高度成長期の大都市圏への人口流入による開発ラッシュもありました。多摩ニュータウンの開発に代表される、団地の開発ラッシュです。住宅不足ですから、戸建住宅のみならず賃貸住宅もたくさん開発されました。それにつれて、大手ハウスメーカーのプレハブ工業化住宅が戸建分譲においても増えてきた時期です。

そして、この時代に独立系戸建専業企業が創業しています。
ただ、いわゆる「欠陥住宅」が多発した時期でもあります。誰でも住宅を建築できた時期で、品質というより、とにかく近代的な生活をしたいということで表面的な華やかさが住宅に求められた時代です。「ウサギ小屋」と揶揄される住宅が多かった時期です。

■新耐震 1981年~1987年 平均10万6000戸

1981年は戸建分譲のみならず、日本の住宅にとってターニングポイントです。

建築基準法が改正され「新耐震基準」となりました。この「新耐震基準」により、ようやく地震国の日本において、「安心して住める」住宅の建設が始まった時期です。この新耐震基準の有効性は、はからずも阪神大震災において証明されています。震災後の神戸市の調査では、81年以降に建てられた建物の約80%が軽微な被害(もしくは全く被害なし)に止まり、大破・倒壊した建物はわずか1%。逆に80年以前の「旧耐震基準」の建物は、約80%がなんらかの被害を受けており、大破・倒壊などの甚大な被害を受けた建物も相当数に上っています。

また、これ以降の住宅は、「住宅寿命30年」と言われるものではなくなり、長寿命化になっています。そのため、この1981年以降の住宅の現存率は9割を超えていると言われています。

ただ、設計技術が必要となったことと、機能強化のためコストアップになったことなどで、誰でもが戸建分譲ができるわけではなくなり、着工が10万戸に減りました。それが1987年まで6年間続きます。

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