新築一戸建て分譲の歴史

戸建分譲は1951年の住宅着工統計の集計・発表開始以来、60年で580万戸の着工がされました。
その60年を振り返ってみます。

■黎明期 1951年~1962年  平均1万500戸

1951年に初めて住宅着工統計が発表されました。その中で戸建分譲の着工としては4976戸が着工されたとなっています。
第二次世界大戦の戦後復興の中で、とにかく国民の住む家を作るという国家目標を背景にとにかく住宅を作るんだということで、雨風をしのぐことができれば充分という時代です。1950年に国民金融公庫も設立され、住宅ローンが一般庶民で使えるようになりました。それが戸建分譲の着工を後押ししました。
また1950年には建築基準法も制定され、住宅建築の基準が明確になるなど、住宅建築のインフラ整備ができた年です。

1952年には、前年の倍の9506戸が建築されてきました。平屋の50㎡くらいの2Kという狭い住宅が多く建築されました。
1953年には3年目にして1万1106戸と1万戸を超えました。ただ漫画の「巨人の星」の星飛雄馬が住んでいるような4畳半の和室が中心の戦前の住宅の延長線にあったと言えます。

1954年から1962年までの9年間は2万戸前後で推移しました。このくらいになると資材も順調になり、2階建ての3Kで70㎡以上のものも出現してきました。ただまだまだ、注文住宅に比べるとお粗末なものでした。
1957年には池田内閣が「国民所得倍増計画」を打ち出し、1960年より所得の伸びが前年比10%以上と庶民も所得の増加が実感できてきて、住宅を買う意欲が増した時期です。

■発展期 1963年~1968年 平均5万7000戸

1963年は3万2316戸と急に増えました。鉄道の開発が進み、その沿線において分譲住宅の開発が行われ始めたのです。1964年の東京オリンピックに向けて環状七号線の開発や首都高速道路など様々な開発が進み、それにつれて道路交通事情もよくなり住宅開発のしやすい環境ができた時期です。GDP(国民総所得)も30兆円を超えて、開発途上から先進国の仲間入りをし始める時期で、国民の所得も1957年の「国民所得倍増計画」の時の2.5倍と大きく増えた時期です。

1968年には7万戸を超えました。この頃になると、東急をはじめとする私鉄の沿線開発が本格的となり、通勤圏が大都市圏郊外に広がっていった時期です。
この時代にハウスメーカーや電鉄系戸建企業が創業をしています。それによって「黎明期」の「悪かろ安かろ」から、一般市民が買うものになってきました。また、高級分譲住宅なるものも出てきた時期で、戸建分譲が市民権を得てきた時期です。

戸建分譲の着工の年推移

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