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大型戸建分譲の現代社会的価値の考察

投稿日:2013年6月8日

大型戸建分譲の現代的社会的価値

大型戸建分譲は現代の日本人の「和」の心にかなう唯一の住宅です。現代の日本人の住まいとしてはオンリーワンでありベストであると言えます。

それは3つの視点から言えます。

①   「個性と調和」の美しい街並み。

②   子育てに良くて、家族を育てて、絆を作る。

③   日本人の「和」の心にかなった「共生・協調」の共同体

それぞれを考えてみます

大型戸建分譲は建物の個性と街並み全体の調和という「個性と調和」をデザインの基本としているため「街並み」が美しい。

建築物デザインとしては、一般工業部材の壁材であるサイディングやスレート屋根材などを使い、四角や長方形がデザインの基本であるために、現代の建物としてはオーソドックスなデザインです。個々の建物の違いはリビングの形や玄関の形の違いにより微妙に違っています。それが心地よいのです。

またつかわれている色は基本色は2色です。ベージュ系と茶系の基本色で、その濃淡と色の面積の違いで、個々の建物の違いを出して「個性」を出しています。

それでいて、街全体がモノトーンのような単調ではなく、3色以上が混在する「猥雑な街」ではなく、ツートンのグラデーションのようなかんじになり「動きと深みと味わい」が「街全体の調和」を生み出しています。

これは大型戸建分譲だけができることで、注文住宅の集まりでは「個の主張」のみで「街並み形成」にはいたらず、ましてやマンションではできえないものです。

それだからこそ会津の「大内宿」のように、「白川郷」のように、または京都の「京町屋」のように、「個性と調和」があり、「その時代の息吹きを感じさせ」て、「100年たっても生活に使っている」ことにより「後世まで残る美しい街並み」となりうるのです。

大事なのは、その時代のポピュラーな技術を使って、その時代のポピュラーなデザインで、その時代の人々の生活感に合った建物でなければならないということです。

最先端のデザインや、最先端の技術は既存ポピュラーな技術・デザインに対するアンチテーゼであり、新しい価値の提案であるために近い将来の人々にとっての生活を豊かにするかもしれないものです。そのために現在普通に生きている人々の生活を豊かにするものではありません。
なぜなら日本の住宅という分野においては、国民のほぼ全員が持家に住まうために、部資材や技術やデザインが生活価格でなければならないからです。最先端のものは、まだ海のもとのも山のものとも分からず一部の人が使っただけですから、量産されていないために価格が高いのが常です。そしていくら画期的なものであっても、その時代の人々に支持されるものでければ「無用の長物」となってしまいます。

また大型分譲地は全て美しいかというと必ずしもそうではありません。

大手住宅メーカーの大型分譲地はそのメーカーにとってのローコスト工場量産モデルを建てるために、建物個々の「個性」がありません。そのため同じような建物がズラっと並ぶ街となり、単調で違和感のあるプラモデルが並んでいるような街並み景観となっています。

一番キツイのが東日本大震災の後などでみられた「仮設住宅」のプレハブの暗い街並みです。プレハブだからグレーで、同じ四角の事務用品のような建物がズラッと並んでいる風景は、暗さ・寂しさを感じて、「住まう喜び」がありません。

同じ仮設住宅でも木造のものはまだ「温かみ」が感じられました。京都の町屋なども狭く・窮屈なのですが、暗い感じがしないのは木造ゆえのことでしょう。

それは木材が「生き物」だからです。住宅となっても木材は呼吸を続けます、また木は一本一本が微妙に色・柄が違うために「「1/fゆらぎ」をもたらして「心地よさ」「温かさ」を感じさせてくれるからです。この辺は、自然と共生して農耕型社会を長く続けてきた日本人のDNAに由来するものではないかと思えます。

また、戸建分譲木造住宅に使われる木材は北欧などのサスティナブル林区(50年計画で植栽・伐採している)のものを使用していて地球環境に良いとされています。それで京都のお寺のように手入れさえよければ1000年も使えるという地球環境にやさしい素材です。

その辺も木材の「心地よさ」とか「温かさ」が人間の心のDNAに刺激しているのもしれません。
大型戸建分譲は子育てに良くて、家族を育てて、絆を作る

大型戸建分譲では通りすがりの自動車が通れないように、突き抜ける直線道路は作らずに必ず右折左折させるような道路配置と建物区割りにしている。これで入ろうする自動車には突き当りの道路と見えて侵入しなくなります。それにより分譲地内は住民専用の空間となる。

これは、戸建分譲の大型物件のみの特徴で、道路を自分で開発して、公共に提供することにより実現できます。

この外部の自動車を侵入させない区割りにより、分譲地内の道路は「子供の天国」となります。

子供は自宅前で遊ぶので、親の目が届き、声が聞こえる。そのため犯罪被害の心配もなく安心して外で遊ばさせることができます。これはマンションではできない、大型戸建分譲ならではの特徴です。

また、近隣の子供たちは全員同じ小学校に同じ通学班で通うために、仲が良くて、一年のうちのほとんどを自宅前の道路で、年齢の違う子供たちが自由に遊ぶという「集団的自発的遊び」により、走りまわるという身体的発育に良いのはもちろん、人間関係のルールを覚えていくという心理的発育によも良い環境である。

そして、日曜には在宅のお父さんが子供達の遊びを見守ったり、一緒にサッカーしたりケンケンをしたりして、その分譲地内の大人の誰かが子供を育てるということがあります。

これは一つには、戸建分譲を買う人がほとんど30歳代なために似た年齢の人が集まるということがあります。さらに、購入金額も同じですから住宅ローンも似ているために年収も似ていて、通勤先も似ているために、人間関係が良くなりやすいのです。

また、分譲地内は自治会の「班」や「組」として組織されます。ゴミ収集だったり、路側構のそうじだったり、夏祭りの一つのイベント担当などを共同で行うことになり、絆が生まれます。さらに、防災訓練などをして、大震災がおきた時にコミュニティで備蓄したり助け合ったりするようにすればさらに絆は深まります。

これは日本古来の農村共同体の現代版と言えて、現代の住宅としては唯一の貴重な存在である。昔は農村共同体で子育てをしたので、安心して子供を産めたのです。そのため子供がたくさんいました。

ところが現代は一人で孤独に子育てをしなければなりません。保育所にもいれられません。だんなさんは仕事で忙しくて子育てを手伝いません。

そのため、マンションの一室で赤ちゃんが泣きやまないということが続くと、子育てノイローゼに悩むことになります。この時、隣の部屋の人は誰かも知らないので、グチを言うことも、経験を聞くこともできないので、一人孤独に子育てするしかない。

公園デビューも大きなストレス。PTAも、ママ友もうまくいかない。それをだんなさんにぶつけることになりますが、それで夫婦仲が悪くなって離婚する。そんなことが普通にたくさんあるので、若い女性は子供を産まなくなりました。こんなことが起きています。また、老人の孤独死も最近は増えてきました。
それは農村共同社会が崩壊したためともいえます。

また江戸時代においては「下町長屋」が共同体として機能していました。

子供が下町の通路で遊んでいたり近所の神社で遊んでいたりして、「でえくのはっつぁん」が仕事に行っていて、カミサンは小さな赤ん坊の世話で忙しい時には、みんなで子育てをします。しょうゆが切れれば隣に借りて、病人が出れば隣のカミサンがおかゆを作ってもっていくなど皆で支えて、冠婚葬祭は皆でやります。火事になればはっつぁんが長屋の一軒をつぶして火をそこで止めます。その後、また作ります。このように、江戸の下町長屋は一般庶民が助け合っていきていく基盤でした。

このような機能をマンションが果たさないのは、まず住民同士が助け合う必要が無いためです。各個人で生きていくことはできるので、隣と助け合う必要がありません。ゴミの処理や周辺環境の対処などは管理人が行います。

それが大型戸建分譲が唯一できるのです。ここに、家族の絆が生まれ、友達との絆、地域の絆が生まれます。

大型戸建分譲は日本人の心にかなった住宅

現在の街や住まいにあるのは「物質」の集まりでしかなく、「和」「心」がありません。機能性・合理性を追求して、「和」や「心」を置いてきたツケとも言えます。

それで「和」の心を受け継いでいる日本人が心地よい住まいといえるはずがありません。

日本の住宅を考える一つの究極の形が、千利休の「詫び茶室」です。

日常の喧噪から心の回復のために、非日常の茶という遊びに入るにあたり、物質的豊かさを全て置くことにより、精神や心の豊かさを求めることであるが、そこに「引き算の美学」という研ぎ澄まされたもので、極限の狭い空間で源泉された素材を楽しむということです。

西欧の建築文化のように、「主君の勝ち誇った証」で豪華にきらびやかに飾り立てるというものとは対極にあります。

この西洋の美が「目でみて感じる造形美」であるなら、日本の美は「心で見て感じる精神の美」です。

この独特の感覚の根底にあるのが、聖徳太子が説いた「和」の心です。

この聖徳太子の頃の日本は、異国の仏教も儒教も入り、南方系の人種や中国よりの人や北方系の人などがいて、地域によって違う文化や考え方が混然一体として、争いは絶えませんでした。出雲神社と伊勢神宮と仏教の間での宗教戦争は根が深いものでした。

それを「和を以て貴し為す」という言葉から始まる「十七条憲法」で、日本に「和」の文化を作り上げたのです。神様と仏様が、争わず互いに受け入れ尊重しあうという文化にしようとしたのです。それから日本の住まいに神棚と仏壇が同じ部屋にあるようになったのです。

この「和」は宗教や文化だけでなく、農耕文化であった日本においては自然との共生もあり、そのため集団で農作業にあたるために周囲の人との協調があり、他の集落との調和なども含んでいました。

狭い日本の中で数少ない収穫物を奪い合うのではなく、皆で工夫して「三人寄れば文殊の知恵」で収穫物を作り、増やしていくことをねらったのです。

それで「和」とは自然との共生、周囲との協調、部外との調和ということになりました。

住まいにおいても「京の町屋」のように、周囲との調和を考えつつ、自然の風を取り入れる工夫をするなど、「共生・協調・調和」が取り入れられたのです。

ところが戦後の高度成長・団塊世代の消費文化により、機能性・合理性を追求した住宅が主流となり、「共生・協調・調和」は軽んじられてしまいました。

注文住宅を建てると、屋根の形はバラバラで外観の色もバラバラなのが当たり前ですから、「調和」など無く、そこにあるのは西洋の「成功者の主張」のみです。それがいくら「和風住宅」でも「古民家風住宅」であったとしてもです。

その結果として、「近隣」は崩壊してしまい、「地域社会」は崩壊しました。

さらに、その限定合理性の追求の結果として「子育て共同体」が崩壊したために少子化がおきてしまいました。

大型戸建分譲は、その区割りと道路配置などにより、子育てによく、共同体や絆を形成しする、日本人の「和」の心を受け継いだ現代日本における日本人のための住まいとしてベストであるといえます。

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