投稿日:2013年5月23日
2013年の日本人にとっての住まいとはどうあるべきでしょうか。
日本の住宅を考える一つの究極の形が、千利休の「詫び茶室」です。
日常の喧噪から心の回復のために、非日常の茶という遊びに入るにあたり、物質的豊かさを全て置くことにより、精神や心の豊かさを求めることであるが、そこに「引き算の美学」という研ぎ澄まされたもので、極限の狭い空間で源泉された素材を楽しむということです。
西欧の建築文化のように、「主君の勝ち誇った証」で豪華にきらびやかに飾り立てるというものとは対極にあります。
この西洋の美が「目でみて感じる造形美」であるなら、日本の美は「心で見て感じる精神の美」です。
この独特の感覚の根底にあるのが、聖徳太子が説いた「和」の心です。
この聖徳太子の頃の日本は、異国の仏教も儒教も入り、南方系の人種や中国よりの人や北方系の人などがいて、地域によって違う文化や考え方が混然一体として、争いは絶えませんでした。出雲神社と伊勢神宮と仏教の間での宗教戦争は根が深いものでした。
それを「和を以て貴し為す」という言葉から始まる「十七条憲法」で、日本に「和」の文化を作り上げたのです。神様と仏様が、争わず互いに受け入れ尊重しあうという文化にしようとしたのです。それから日本の住まいに神棚と仏壇が同じ部屋にあるようになったのです。
この「和」は宗教や文化だけでなく、農耕文化であった日本においては自然との共生もあり、そのため集団で農作業にあたるために周囲の人との協調があり、他の集落との調和なども含んでいました。
狭い日本の中で数少ない収穫物を奪い合うのではなく、皆で工夫して「三人寄れば文殊の知恵」で収穫物を作り、増やしていくことをねらったのです。
それで「和」とは自然との共生、周囲との協調、部外との調和ということになりました。
住まいにおいても「京の町屋」のように、周囲との調和を考えつつ、自然の風を取り入れる工夫をするなど、「共生・協調・調和」が取り入れられたのです。
ところが戦後の高度成長・団塊世代の消費文化により、機能性・合理性を追求した住宅が主流となり、「共生・協調・調和」は軽んじられてしまいました。
注文住宅を建てると、屋根の形はバラバラで外観の色もバラバラなのが当たり前ですから、「調和」など無く、そこにあるのは西洋の「成功者の主張」のみです。
その結果として、「近隣」は崩壊してしまい、「地域社会」は崩壊しました。さらに、その限定合理性の追求の結果として「子育て共同体」が崩壊したために少子化がおきてしまいました。
マンションの一室で赤ちゃんが泣きやまないと子育てノイローゼで悩むが、隣の部屋の人は誰かも知らないので、グチを言うことも、経験を聞くこともできないので、一人孤独に子育てするしかない。公園デビューも大きなストレス。PTAも、ママ友もうまくいかない。それで夫婦仲が悪くなって離婚する。こんなことが起きています。また、老人の孤独死も最近は増えてきました。
現在の日本の街や住まいにあるのは「物質」の集まりでしかなく、「和」「心」がありません。機能性・合理性を追求して、「和」や「心」を置いてきたツケとも言えます。
それで「和」の心を受け継いでいる日本人が心地よい住まいといえるはずがありません。
京町屋が一時もてはやされました。シェアハウスが今、注目浴びてますが、その形ではなくて、「共生・協調・調和」がそこにあるからです。
やはり日本人の住まいには「和」が必要なようです。
「和」の住まいに木造である必要はないのですが、日本の自然との共生を考えると木造の方が良いようです。
また、
「春はあけぼの。やうやうしろくなりけりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。ほたるの多く飛びちがひたる。」
清少納言の枕草子ですが、四季を楽しみ、自然の恵みに感謝し、自然の美しさへの敬い、これが日本人の心のDNAに刻まれていると私は思います。
この自然との共生が、豊かな心を育てるために、住まいにおいて大切であると思います。
「和」の心があり、自然との共生ができて、街としての協調と、周囲との調和のある住まいとは、現在の住宅でいうと「環境共生住宅」に考え方が近いと思います。
できれば里山なり雑木林と共生・調和する環境共生の街なみがいいでしょう。その材料にはできれば、国産材を使ってもらいたいです。県産材であればなお良いです。
こんな住宅を作っていくことが、郊外分譲住宅の生き残る唯一の道だと考えます。
合理性・機能性だけで、相場観だけで価格・商品企画・機能を決めるのではなくて、こんな根本的な考え方に依った住まいを作れるのは「郊外分譲住宅」のみです。それを是非実践してほしいですが、できるのは積水ハウスくらいでしょうか。