投稿日:2012年2月22日
賃貸住宅での孤独死が急増しています。
2007年で東京23区だけで3949件あったそうですから、2011年は確実に5000件を超えているでしょう。
さらに、最近は保護者の病死後に障害者の凍死や餓死などという衝撃的なものまで報道されています。
これは、賃貸住宅に限りません。むしろ持家の方が、大家や管理会社が家賃の催促にこないだけ危ないかもしれません。
電気やガスや水道の支払が3ケ月滞ると自動的に止められてしまいます。そんな状態で、今年の厳冬を乗り越えることはできないです。また、その前に、食糧がつきてしまいます。
震災後にキーワードとなった「絆」が必要だと思います。
隣に住んでいる人とは話もしたこと無いばかりか、顔も名前も知らないということが当たり前の現代であるからこそ「無縁社会」というようなキーワードになってしまっています。
非常にさびしい時代です。
日本の現状は景気はいまいちとはいえ、依然として世界で最も豊かな国のひとつですし、日本の歴史の中でも豊かな時代であるはずです。それが、このような問題があるのはさびしいです。
というか、経済合理性・効率性・生産性を追求したからこそ豊かになったとしたら、必然として社会弱者は死にゆくしかないのかもしれません。でも、それでは何か違うし、間違っていると思います。
ブータンがGHP・国民総幸福という概念を打ち出して、世界一幸せな国を目指していますが、ブータンの国策が正しいとは思えません。教育・技術水準を世界トップクラスにすることにより、経常収支を黒字化して、国として豊かになるというのが目指す姿だと思います。
その中で社会弱者をどう組み入れていくかを真剣に考える必要があります。
障害者・高齢者などの社会弱者を厚生医療費を使い、施設に囲い込んで、ただ静かにしていればよいというのでは、ただの社会の厄介者でしかありません。「姥捨て山」と同じです。
社会弱者が社会と共に幸せに・豊かに暮らせることができたらいなと思います。
私の長女は知的障害者です。一人では生きていけません。
持家ですが、私と妻が死んだあとは1ケ月も生きていけないでしょう。
誰かが、食事・入浴・排便・健康管理などの面倒を見なければなりません。そんな、手間がかかるだけで、一銭の得にもならなくて、逆にお金と時間のかかることを誰もするはずがありません。
やるのは、高額の家賃・手数料がかかる施設しかありません。
私が25年後に平均寿命で死亡した時、娘は50歳です。女性の寿命まで35年間はあります。
施設に1年300万かかるとしたら、35年で1億円です。途方もない金額です。
いまのままでは、私の娘は自宅で孤独死するでしょう。
それが仕方のない時代としたら、あまりに悲しい時代です。
今、娘は自宅のリビングのソファに座って、テレビをみて微笑んでいます。
毎日、障害者作業所で雑用をして、帰ってきて食事をして、お風呂に入って寝ることが幸せなのです。
「都会の孤独死」「無縁社会」など無く、社会弱者が幸せに生きられるように、社会構造・文化が変わってくれるとうれしいです。せめて私が死ぬまでに・・・・。